天野教授の講義のまとめ
当院が目指す「良い口腔フローラ」とは?
― 菌を殺す歯科から、口腔の生態系を整える歯科へ ―
私たちの口の中には、非常に多くの細菌が暮らしています。
「細菌」と聞くと、すべて取り除いた方がよいように思われるかもしれません。
しかし、実際の口腔内はそれほど単純ではありません。
健康なお口にも多くの細菌が存在し、お互いに影響しながら一つの「生態系」をつくっています。
大切なのは、
「菌をゼロにすること」ではなく、「悪玉菌が増えにくい環境をつくること」。
これが、当院が考えるこれからの歯周病予防です。
歯周病は「悪い菌がいる」だけの病気ではありません
健康なお口の中にも、さまざまな細菌が共存しています。
ところが、そのバランスが崩れ、歯周病に関係する細菌が優位になってくると、歯肉の炎症や出血、さらには歯槽骨の破壊へとつながっていきます。
このように細菌叢のバランスが病原性の高い方向へ変化した状態を、
Dysbiosis(ディスバイオーシス:細菌叢の乱れ)
と呼びます。
反対に、細菌と私たちの身体がバランスよく共存している健康な状態が、
Symbiosis(シンバイオーシス:共生)
です。
当院が目指したいのは、
DysbiosisからSymbiosisへ。
単に細菌を減らすのではなく、病気を起こしにくい口腔フローラを育て、維持することです。
なぜ今、「FN菌」に注目するのでしょうか?
歯周病菌の世界では、それぞれの菌が単独で生活しているわけではありません。
菌同士がくっつき、栄養をやり取りしながら、バイオフィルムという一つの社会を形成しています。
その中で近年、非常に興味深い存在として注目されているのが、
Fusobacterium nucleatum(FN菌)
です。
FN菌は、さまざまな細菌と結びつくことができ、バイオフィルムの中で菌と菌をつなぐ**「橋渡し役」**として知られています。
そして、その先に存在する重要な歯周病菌の一つが、
Porphyromonas gingivalis(PG菌)
です。
PG菌は、歯周病の病原性を考えるうえで重要な「キーストーン・パソジェン」と呼ばれる細菌です。
611人の唾液を調べると見えてきた「FN菌を中心とするネットワーク」
2024年、米国微生物学会の学術誌 Microbiology Spectrum に興味深い研究が発表されました。
日本人611名の唾液を解析したところ、唾液中のFN菌の割合が多い人では歯周炎が多く、口腔細菌叢の構成にも違いが認められました。
さらにFN菌の割合は、PG菌・Tannerella forsythia・Treponema denticolaという、いわゆるレッドコンプレックスをはじめ数多くの歯周病関連菌と相関することが報告されています。
詳細な解析では、FN菌の割合がレッドコンプレックスや近年注目されている歯周病関連菌を含む28種類の口腔細菌の割合と関連することが示されました。
ここから見えてくるのは、
「PG菌だけを見ていてはいけない」
ということです。
FN菌は、PG菌をはじめとする多くの菌が共存するバイオフィルムの形成や、病原性の高い細菌叢への変化に関わっている可能性があります。
つまり、
悪玉菌だけを追いかけるのではなく、悪玉菌が繁栄できる「生態系」そのものを考える。
これが新しい視点です。
FN菌とPG菌 ―「環境」と「主役」の関係
FN菌は、PG菌などがバイオフィルム内で定着・増殖するための橋渡しに関与します。
さらに菌同士は、代謝産物などを介して互いの生育に影響を与えています。
したがって、
FN菌を抑える
↓
菌同士の橋渡しやPG菌を支える環境を弱める
↓
PG菌が繁栄しにくい環境へ
という考え方が生まれます。
これは単純に、
「悪い菌を見つけたから、その菌を殺す」
という発想とは少し違います。
PG菌が住みやすい「バイオフィルム」そのものを、住みにくい環境へ変えていく。
そのように考えると分かりやすいかもしれません。
さらにPG菌には「ジンジパイン」という武器があります
PG菌が問題なのは、菌そのものだけではありません。
PG菌は、
ジンジパイン(gingipain)
という強力なタンパク質分解酵素を産生します。
これはPG菌の重要な病原因子の一つで、歯周組織の破壊などに関与します。
つまり歯周病原性を考えるときには、
① PG菌が繁栄する環境
だけでなく、
② PG菌そのもの
さらに、
③ PG菌が持つ「武器=ジンジパイン」
まで考える必要があるわけです。
CPC+CAE+EDTAという興味深い研究
ここで私が注目しているのが、
CPC・CAE・EDTA
という成分を用いた細菌叢制御の研究です。
① CPC+CAE → FN菌を含む病原性バイオフィルムへのアプローチ
2023年の日本歯周病学会で報告された唾液由来バイオフィルムモデルでは、CPCまたはCAE単独の場合と比較して、CPC+CAEの併用によってFN菌とPG菌が減少し、一方でStreptococcus属は維持されたことが報告されています。
これはまだ基礎研究の段階ですが、非常に興味深い結果です。
なぜなら、
「すべての菌を同じように減らす」のではなく、病原性の高い細菌叢を減らして、健康な細菌叢へ導く」
可能性を示しているからです。
② CPC → PG菌そのものに作用
CPC(塩化セチルピリジニウム)は、以前から口腔ケアに使用されている抗菌成分です。
細菌の細胞膜などに作用し、PG菌を含む口腔細菌に抗菌作用を示します。
しかし、今回さらに興味深いのは、その先です。
③ CPC → PG菌の「武器=ジンジパイン」にも作用
2025年、日本歯周病学会会誌に掲載された研究では、CPCがPG菌の病原因子であるジンジパインの活性を阻害することが報告されました。
つまり、
PG菌そのものへの抗菌
だけでなく、
PG菌が持つ病原性の「武器」を抑える
という、もう一つの作用があったということです。
④ EDTA → 唾液の中でもCPCの働きを支える
ただし、私たちの口の中には唾液があります。
研究では、唾液中のCa²⁺やMg²⁺などの二価金属イオンが存在すると、CPCによるジンジパイン阻害作用が低下しました。
そこで登場するのが、
EDTA
というキレート剤です。
EDTAがこれらの金属イオンを捕捉することによって、唾液存在下でもCPCのジンジパイン阻害作用の低下を防ぐことが示されています。
EDTA自身がジンジパインを攻撃するというより、
「口の中でもCPCが本来の仕事をしやすい環境を整える」
と考えると分かりやすいでしょう。
つまり「菌を殺す」から「病原性ネットワークを弱める」へ
ここまでを一つにつなげてみます。
FN菌を抑える
↓
菌同士の橋渡しやPG菌を支える環境を弱める
↓
PG菌が繁栄しにくい環境へ
↓
PG菌そのものも抑える
↓
さらに
PG菌の武器「ジンジパイン」の活性も抑える
↓
歯周病原性の高いネットワークを弱める
↓
より健康と共存しやすい口腔フローラへ
↓
Symbiosis
私は、このような天野教授の考え方に大きな可能性を感じています。
「全部殺菌する」から「生態系を整える」へ
ここが、私が患者さまに最もお伝えしたいところです。
歯周病予防というと、
「悪い菌を殺菌する」
という発想になりがちです。
もちろん、病原性細菌を減らすことは重要です。
しかし、私たちが本当に目指したいのは、口の中を無菌状態にすることではありません。
FN菌などが関係する病原性ネットワークを弱め、PG菌が繁栄しにくい環境をつくり、プロフェッショナルケアと毎日のセルフケアによって、口腔内の細菌バランスを健康な方向へ維持していく。
つまり、
Dysbiosis(細菌叢の乱れ)
↓
Symbiosis(健康な共生状態)
を目指すという考え方です。
「治す歯科」から「口腔環境を育てる歯科」へ
歯石を取る。
歯を磨く。
バイオフィルムを除去する。
必要に応じて抗菌的なアプローチを行う。
もちろん、どれも大切です。
しかし、これからの予防歯科は、もう一歩先へ進めるのではないかと私は考えています。
「何を取り除くか」だけではなく、
「その後、どのような口腔環境を育てていくか」。
歯科医院で成熟したバイオフィルムを専門的に除去する。
そして、ご家庭での適切なセルフケアによって、その良い状態を維持する。
さらに定期的なメインテナンスによって、再びDysbiosisへ傾いていないかを確認する。
プロフェッショナルケア=いったんリセットする
セルフケア=良い環境を育てる
メインテナンス=良い環境を守り続ける
この3つをつなげることが重要だと考えています。
当院では、患者さまのお口を単に「虫歯や歯周病を治療する場所」として見るのではなく、
生涯にわたって健康な口腔環境を育て、守っていく場所
として考えていきたいと思っています。
菌を全部殺すのではなく、悪玉菌が増えにくい環境を育てる。
それが、桝尾歯科クリニックが目指す
「良い口腔フローラ」への道筋です。
研究エビデンスについて
本稿で紹介した内容には、ヒトの唾液細菌叢を解析した観察研究に加え、唾液由来バイオフィルムモデルやin vitro(試験管内)研究によって得られた知見が含まれています。
特に、「CPC+CAE+EDTAを使用すれば、ヒトの口腔フローラが必ずSymbiosisへ転換する」ことが臨床的に証明されているわけではありません。
当院ではこれらを、歯周基本治療や専門的バイオフィルム除去に代わるものではなく、病原性の高い細菌叢を健康な方向へ導くための新しい研究アプローチの一つとして注目しています。
歯周病の予防・治療では、歯周組織検査、適切なブラッシング、歯石・バイオフィルムの専門的除去、生活習慣への対応、そして継続的なメインテナンスを組み合わせることが基本です。
主な参考文献
1.Akase T, Inubushi J, Hayashi-Okada Y, Shimizu Y.
Association of Fusobacterium nucleatum in human saliva with periodontal status and composition of the salivary microbiome including periodontopathogens.
Microbiology Spectrum. 2024.
doi: 10.1128/spectrum.00855-24
― 日本人611名の唾液細菌叢を解析し、FN菌の存在割合と歯周状態、レッドコンプレックスを含む複数の歯周病関連菌との関連を検討した原著論文。
2.Mohammad S, Suzuki T, Yamaguchi E, Inubushi J, Shimizu Y.
Synergistic effect of CPC + CAE in decreasing pathogenicity of dental biofilm evaluated by in vitro salivary biofilm model.
Journal of the Japanese Society of Periodontology. 2023;65(Suppl-1):135. P-14.
― 唾液由来バイオフィルムモデルにおいて、CPC+CAE併用によるFN菌・PG菌の減少とStreptococcus属の維持を報告した基礎研究。
3.森川拓磨,有田卓矢,浦川李花,清水康光.
CPCのジンジパイン阻害作用と,その作用への唾液成分の及ぼす影響の研究.
日本歯周病学会会誌. 2025;67(2):75–84.
doi: 10.2329/perio.67.75
― CPCによるジンジパイン阻害作用と、唾液中の二価金属イオンおよびキレート剤がその作用に及ぼす影響を検討した原著論文。